政事は大小軽重の弁をうしなうべからず。緩急先後の序を誤るべからず。佐藤一斎 重職心得箇条 せいじはだいしょうけいちょうのわきまえをうしなうべからず。かんきゅうせんごのじょをあやまるべからず。
ものごとは重要度に応じて優先順位をつけましょう。
佐藤一斎は江戸時代後期の儒学者で、勤めていた岩村藩の人々に伝えたものですが、150年のちでも十分に説得力のある議論を展開しています。
たとえば現代の経営思想の大家であった、ピータードラッカーが「優先順位を決まることによって、よき意図が成果をあげる目標へ、洞察が行動へと具体化する。・・優先順位が基本的な戦略と行動を規定する。」といっています。 そして1、過去ではなく未来を選ぶ。2問題ではなく機会に焦点を合わせる。3横並びではなく独自性をもつ。4無難で容易なものではなく変革をもたらすものを選ぶ。
といっています。
事業をされている方は、重要なものに焦点をあてることが必要です。細部に神が宿るというのも真実ですが、細部の努力が生きるためには重要な業務が確実にできていることが必要だと思います。
和をもって尊しとなす。「聖徳太子 一七条憲法 第一条」
(わをもってたっとしとなす)
この言葉は誤解されている部分が多いと思います。
和とは争いのない状態ですが、太子の生きておられた時代は利害対立の激しい時代で、ともすれば争いのおこる恐れがありました。
ここで強調されているのは、お互いの違いがあることを乗り越えての相互理解の必要性を訴えたことだと思います。
独裁的に反対意見を寄せ付けないのではなく、自分の理想を持ちながら、それを実現するためには様々な人々の意見に耳を貸すというのが太子のお考えでしょう。そうでなければ一度に一〇人の話を聞くというお話も生まれなかったでしょう。
強権による平和や意見弾圧は、「和」ではないのです。本来的な調和をもたらすためには、お互いがともに大切であることを考え、お互いを尊重することが必要だと思います。
もちろん決断というのは必要であり、そこはひとしれず考慮すべきことがあるのですが・・・
佛教所謂不動尊 何謂也 以不動為尊也 其象在火炎之中
ぶっきょうにいわゆるふどうそんはなにをいうや うごかざるをもってたっとしとなすなり そのしょうかえんのなかにあり
二宮尊徳先生は小田原の桜町での改革に着手しますが、周囲の無理解、足の引っ張り合いで苦しい思いをします。新田の開墾、歳出の削減、困窮している農民への税の減免などがすべて藩のためになっていないとの告発を受け、先生は桜町を出て、成田山のお不動様のもとで21日の断食修行を行います。「お不動様は火の中で動きもしないで、皆のことを考え動かずに修行している。私も現世で逃げずに改革にあたろう。」との決意がこの言葉だと思います。
実際、それだけの決意をもった人の改革が成功しないわけはありません。農民は改革の意図を理解し協力してくれるようになりました。足をひっぱっていた役人は罷免されました。熱意をもって行動するときすべてが良い方向に行きます。あなたは火炎の中にいるわけではないのですから。
それぶっぽうはるかにあらず しんちゅうにしてすなわちちかく 「はんにゃしんきょうひけん」
空海ー弘法大師の般若心経の解説書です。しかし、真実の教えが外ではなく、われわれのこころにあるというのは仏教ではよくいわれることだと思います。
もちろん、真実を学ぶ姿勢というのは大切であり、弘法大師も大学に通い、山野を修行し、中国に留学したわけです。しかし一番大切なことは真実を把握するわれわれのこころだというわけです。
お客様との関係も、実はわれわれのこころのありかたー親切にしよう、お客様の役に立とうという考えか、あるいはそうではないかによって大きく変わると思います。
できるだけ「まこと、あかるさ、おもいやり」で生きたいものです。
くんしはかならずそのいをまことにす。
中国の四書五経のうちの大学は、論理的に人間の歩むべき道を示しています。
立派な人がものごとをなすには、正しい知識に基づいた、正しい思いが必要です。
それは自分を欺かないこと。
そのことは外からも分かります。
ですから一人でいる時こそ立派にしましょう。
自分が誠意ををもって行動し、家庭、国、全世界に及ぼそうというのが大学の趣旨だと思います。
スマイルズは19世紀の英国の思想家です。
大英帝国が大英帝国でありえたのは、このスマイルズの自助論に代表される自助の精神jがあったからだと思います。自分の環境を変えるのは自分しかない。他人を批判する時間よりも、自己を充実させるほうが結局は素晴らしい結果をもたらすというのがこの本の主題であるようにおもいます。
なぜ日本の古典ではなく、この本を選んだのでしょう。明治4年この本は日本で大ブームとなり、100万部以上売れたのです。伝統的な精神をもちつつも、貪欲に西洋の素晴らしい文化を取り入れる当時の人々にとっては大英帝国の発展を自国の発展につなげることを夢見てこの本を読んだに違いありません。
日本の明治の時代精神を代表する本なのだと思ったからです。
ひらめきは、日頃の努力の結果が積み重なってでてくるように思います。その分野の知識や思考方法が煮詰まりこれ以上は他の方法しかないと感じた時に「ひらめく」のだと思います。これは日頃の作業に埋没するいいわけではありません。日頃の作業をおろそかにせず、日頃の作業を常に新しい観点からみることで「ひらめく」のでしょう。