やまと心の経済学 その1 感謝

感謝

 

通常の経済学や経営学の教科書では「感謝」という言葉を目にすることは少ないと思います。出版に携わったかたがたへの感謝の辞くらいかもしれません。

しかし多くの成功した経営者、特にオーナー企業の経営者の方々の口からは感謝という言葉が多く聞かれるような気がいたします。どうしてでしょう。

 

経済学はできるだけ人間的な要素を排除しようと考えているようです。これは自然科学も同じでしょう。実験の結果は再現性がなくては困ります。だれがやっても同じ結論になる部分こそ科学の名に値すると考えることは妥当だとも思います。

私も採用試験こそ法律職でしたが、大蔵省の研修でマクロミクロの経済学や財政・金融・統計・会計などを学びました。しかし、現実の経済や経営を見てくるとこれらの学問は非常に有用であることはわかるのですが、それ以外に重要な要素というものもあると思うのです。

本当の問題を解決したり、本当の問題の所在を知るためには、問題についての自分なりの見方(それが証明しうるか否かは別として)それを提示することは大切です。いわゆる仮説というものです。

 

感謝という心の働きは、当然分析が簡単なものではありません。しかし、人間が何らかの行動を起こすときには一番大切なのは心の持ち方だと思うのです。いくら資本があっても不適切な投資によって損害を被った例はバブル崩壊後、金融行政に携わって見聞きしましたし、資金や信用などを熱意で補う企業家というものも見てきました。(もちろん熱意が資金や信用を引きつけてくるのでくるのであり、大きな事業を行うには資金、人材、信用などは不可欠です。一時的な熱気ではそれは集まるのは不可能だと思います。)

無論、事業の始めには収益というものが大事であり、これを忘れては企業は成り立ちません。いかに社会的にすばらしい事業であってもそれを継続していくためには何らかの資金的な裏づけが必要となります。

しかし、事業がより大きくなると、それでは限界に到達します。そこで必要となるのがもっと大きな視点であり、自分の事業が世間の人々に支えられているという「感謝」の念とそれに対するお返しとしてお客様や世のため人のために尽くすという「意欲―おかげさまの気持ち」が必要になってくるように思います。

 考えてみれば感謝の念というものを欠くと、慢心というものが頭をもたげてきます。経営やその他のことで成功する人は能力の高い人であり、ご自身の潜在的な能力や運に恵まれただけでなく、多大な努力を払われたはずです。しかしここが落とし穴です。自分ひとりですべてのことができたわけではないのです。それがすべて自分の能力と努力と思うところに落とし穴が開いているのです。

 

古来日本人はおかげさまということを大切にしてきました。さまざまな人々のおかげによって自分が生活できているということです。神道では春に今年の豊作を祈り、秋に今年の収穫に感謝します。神社でご祈祷をお願いする場合にも、すばらしい神様を褒め称え感謝してからお願いいたしますが、これも自分個人だけではなく多くの人々に役立つことを願うことが多いと思います。

仏教でも心の問題は重要なものとして扱われてきました。

原始仏典であるスッタニパータでは

「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくりだされる。もしも汚れた心で話したり、行ったりするならば、苦しみはその人につき従うー車を引く牛の足跡に車輪がついてくるように。

 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくりだされる。もしも清らか心で話したり、行ったりするならば、福楽はその人につき従うー影がそのからだから離れないように。」と書かれています。

感謝の心というのが、福楽の道に繋がると解されていたのではないでしょうか。

 

いかにすばらしいものや役務を提供したとしても、それを求めてくださる人がいなくては経営は成り立ちません。ましていわんや、お客様が見た目にはわからないからといって品質の低いものや、賞味期限の切れたものを提供すればその心は穢れたものになっていると思います。

短期的には収益を改善するかもしれませんが、そのような経営判断を下す経営者は自分の短期的な収益だけに目が向かい、今まで支持してくださったお客様への感謝の念を忘れ、

徐々に判断が狂ってくるのではないでしょうか。

 

もちろん、全く誤りを犯さない経営者はいません。しかし、誤りを誤りであると知りながら行う場合と、知らずして行う誤りとは非常に異なります。後者は注意力を磨くことや、専門知識を蓄えることなどで修正は可能ですが、前者で誤りを正すことは困難です。

 

感謝の念を持てば、自分に対して親切にしてくださった方、お客様に限らず、従業員、関連の業者の方々、家族、両親、関係の団体、公務員、国、あるいは世界・宇宙までに対して、自分のできる範囲でお返ししていこうという意欲がわきます。

私もこの文章を読んでくださるあなたに感謝いたしますが、この冊子を配達してくださった方、この文書の印刷製本をされた方、この文書の編集をされた方にも感謝しなくてはなりません。この文章を載せてくださるように決定してくださった方にも感謝しなくてはなりません。パソコンでこの文書を打っていますが、このパソコンを作ってくれた方、そしてこの電源を維持してくださっている方、このような文章が書けるだけの能力を授けてくださった先生がた、また私を育ててくださった両親・・・(思った以上に感謝すべき対象が広がってしまいました。)

このような考え方こそが、実は事業の発展の基礎になると思うのです。ご自身に照らして考えられてもいかがでしょうか。自分からいかに利益を吸い上げようと考えている人と、第一に自分のことを考えてくれている人とどちらとお付き合いしたいでしょうか。

もちろん営利事業であれば、そこから収益を上げなくてはいけませんが、一番大切なのは物事に感謝しそれにふさわしい良いことを世間にお返ししていくことではないかと思います。

やまと心の経済学 その2 誠意

誠意

 

誠意もあまり経済学や経営学で取り上げられない項目だと思いますが、実際に経済や経営に携わる人にとって重要な要素だと思います。私も人のことを言えた義理ではありませんが、できるだけ人には誠実に接しようと心がけてはいます。私の文章を読んでいただいた人には、投下資本の10倍以上の利得が得られるように、また、読んだ後に、この世の中がより良くなるような方向で働ける元気をお分かちするように心がけています。

 もとより社会生活は不確実の連続ですし、全てが完璧に行くことはないと思います。しかし、できうるかぎり誠実を心がけようというのは大切なことです。

 大企業で働かれた方から、日本企業への信頼というのはかなり高いものがあるというお話をお聞きします。私もインドネシアに駐在して、日系企業が現地人にとって就職したい企業であり、また、多くのインドネシア人から他の国の企業に比べ満足度が高い旨のを発言を受けとっています。(日本のマスコミではあまり取り上げられていないのですが。)

 やはりそれは日本の企業が伝統的に誠実に仕事をしてきたからでしょう。

もちろん世界の企業の中には不実なところも多くあり、そのようなところには十分な注意を払うとともに、さりながら、自分の誠実さを傷つけることのないように努力することが大切です。

お客様に満足していただくことで、企業人は収益を上げることができます。

 実際の場合、私は、お話をさせていただく企業の経営者の方よりも、その企業の情報を知ることはできません。多くの金融機関を始めとした企業の情報を得た経験から、それをお客様に当てはめることによって、その会社がさらによくなることを提言させていただくだけです。しかし、多くの場合、企業は、自分の資産を十分には活用できていません。それはその経営者の能力の問題ではなく、経営者の視点の問題です。

 戦国の大名が、戦術などあまり分からないはずの、名僧に意見を求めたのは多くここにあります。世の中の真実というものを見失わないためです。ともすれば人間は過去の延長線上で判断しようとします。そして多くは成功します。世の中の変化というものは実は急には影響を及ぼさないことが多いからです。しかし、変化というものは、潜在的にはマグマのようにたまっていき、いったん顕在化すれば大きな流れになります。安岡先生がよくおっしゃるシンギュラーポイント(沸騰点)とはこういうものなのでしょう。

しかし、そこに至る前に十分な準備を行うか、あるいはその方向性を見据えていた場合には右往左往することは少ないと思います。むしろそのような場合は問題点をずっと研究してきた者のチャンスが到来すると考えても良いでしょう。

誠意というのは、人に対する場合が多いと思いますが、真実に対して謙虚になるということが必要であると思います。何が真実であるかを常に考え続け、それを自分の持ち場で生かしていく姿勢というのが必要でしょう。

良く売れる商品は基本的に良い商品ですし、やはりそれを見出すのはお客様に対する誠実な関心があるからこそだと思います。それはネーミングが面白いからというものであってもいいわけです。お客様の全体の欲求に答えることが産業人の務めだからです。誠実さ貫くということはというのは常に難しい顔をしている必要はありません。(当然ヘレヘラしている必要もありません。)

しかし、単に流行りにのる商品と、本物の商品はやはり違います。

ネーミングでお客様の関心を引くことはできますが、それがすばらしいものでなければ次にお客様は買っていただけないでしょう。

商売にテクニックは必要でしょう。しかし、それは誠実さに裏付けられたテクニックでなければなりません。もっとも、自分の売る商品が本当にお客様に役立つ商品であり、お客様にこれを購入していただくのが真にお客様の役に立つと確信できた場合、テクニックというものが必要でなくなるぐらいに使命感をもってお客様に商品をお勧めできる気がいたします。

 

やまと心の経済学 その3 運命

運命 

 

運命というのも経済学では使わない用語でしょう。運命というのは宿命と誤解されやすいのですが、何か人間として避けることができない縛りのように理解する人があります。しかし運命は「命」を「運」ぶものであり固定的なものではありません。易を学ぶとそこの部分が実感できると思います。

一方、経済学を中心とした人間像は、伝統的には「合理的経済人」です。他に比して同じならばより利益が上がるほうを選好することになっています。そこには人間の完全な自由が想定されています。

 しかし、われわれの周囲を見渡しただけでも生まれながらの違いというのは否定できません。

 一方人間の生き方が、全く宿命に縛られていると考えるのは妥当ではありません。以前の師友会の研修で「陰隲録」が課題図書として用いられました。

官吏になることを予言された袁了凡が、試験の合格などその予言がことごとく的中していくのを見て、人間の運命は決まっているものだ、宿命なのだと思い込んでいました。しかし、南京で雲谷禅師に出会い、人間の運命は自分の考えたとおりになるものだということを孟子や仏典を基に説かれます。そして善根を積み上げ、学問を積んでいくと、予言よりだんだん良い方向に狂ってきました。

ここでいえることは、人間というのは何らかの運命における方向性というのはあるのではないかということです。一方、人間はそれに翻弄されることなく、生きていくことが人間の生き方として正しいように思います。

 多くの伝統的な企業というのは、時代を超え生きてきたわけです。必然的に歴史の変わり目には多くの試練が待ち受けてきました。いまや多くの人が洋服を着て、電気をつけ、タクシーに乗っていますが、呉服屋さん、ろうそくやさんは生き残っていますし、駕籠屋さんは形を変えています。明治時代日本の主要産業であった絹織物はすでに主要産業としての役割を終え伝統産業となっていますが、絹織物を作る技術である機械の知識・人材が後の自動車やIT産業を生み出す淵源になっています。

 運命に逆らうことはできませんが、運命を生かしていくことは大いに可能です。

 時代の変化をとめることはできないと思いますし、その変化をむしろ捉えていくことが鍵だと思います。一方、自分の本質を忘れ時代の変化に流されていけないのも事実です。

変化する時代に自分が生存しているということは、自分が何らかの形で生きていくべきであるという宇宙の意思であるという気がいたします。そこにはかけがえのない人々がいます。かけがえのない仕事があります。どんな会社のどんな役職でもその人なりの仕事のやり方があります。大きな企業でしたならば自分がいる間に、会社がより良く運営されるように仕事をすることで運命にのることができます。逆に自分のときだけとりあえず問題を先送りしたり、空約束をすることは究極的には運命を悪くするのではないでしょうか。

一方経営者や自営の方などは自分なりの判断を、つねにお客様との対話によって確認していく必要があります。これはお客様に媚びるということではありません。お客様のためにならない商品は売ってはならないならないと思いますし、お客様の代わりなりもっとすばらしいものをご提案申し上げるのが企業家の役割でしょう。

大音楽家のバッハはまだ、楽器、演奏法が発展する段階での作曲家でしたが、その条件のもとで後世にのこる数々の名曲を作り、そのうちの多くが現代の作曲家がもたらしえないような感動を与えてくれています。バッハは自身に課せられた制約が自分を縛るものと考えていたのではなく、自分が活躍するすばらしい場と考えていたに相違ありません。

飛行機というのも同じで、風の抵抗がある程度ないと飛ぶことができません。一見自分の行動を妨害するようなものが、多くの新しい発見をもたらします。現在困難な状況というのは、多くの跳躍の機会ともいえます。人間は残念ながら(あるいは幸せなことに)懲らしめられなければ分からない部分があるようです。

運命というのは、避けえないものかもしれませんが、それに感謝と知恵を持って接すれば必ず解決策が見つかるような気がいたします。そのとき人間は立命できるのです。

やまと心の経済学 その4 努力

努力

 

「努力で人は幸せになれるでしょうか。」ある書物を巡って議論がされていました。詳細は承知しませんが、疑問に感じることは多いでしょう。

人間、努力「だけ」では幸せになれないかもしれません。努力というのが、何かを力を込めて行うのであれば一定の成果を得られるでしょう。しかし多くのことは他の人々との協力によって成り立ちます。ただ、その努力が真剣であり多くの人々に役立つものであればその努力が無駄に終わることはないでしょう。努力自体が感動を呼び、多くの力をひきつれてくるのです。

よって、努力なしでは幸せをつかめないのではないでしょうか。ここにいう努力とは苦行という意味ではありません。仕事がうまくいっている時には効果が不思議とあがるものです。

これは無駄な力が入らず、人間本来の力(あるいは宇宙の力―人によっては神仏の力)がかなりの部分出てきているからです。チクセントミハイという心理学者の言葉を借りればフローという状況です。そこには活動に本質的な価値があり、状況や活動を自分で制御しているという意識があるといわれます。私がここに書く文書というのも、「いかにわかりやすく書こうか。」という努力はしていますが、「真実のことをできるだけ書いて、読む人が幸せになり、日本がよりよい国になってもらおう。」と思って書いているのでその点楽しんで書いているのは事実です。もとより世の中真実というのは多くの形で表現されており、神道・仏教・儒教でも多くは同じことを言っていることがあります。それぞれ富士山のさまざまな登り口から同じ頂上に登っているのか、あるいは高層ビルの東館と西館のそれぞれ屋上から眺めているのかはしれませんが、それぞれから見えるものは驚くほど似通っています。それはあなたのお仕事でも同じだと思います。努力が苦しく思えるのはその活動に本質的な価値を見いだせていないからかもしれません。しかし、多くの仕事というのは全体としてみれば本当に価値のあるものです。「会社の歯車」と働くことを揶揄する人もありますが、歯車は一つでもかければ精密機械は動きません。そしてその精妙さに気付いたときに自分の価値の尊さを実感できます。また、自発的にする部分が高ければ高いほど仕事は楽しくなります。坂本光司教授は「なぜこの会社はモチベーションが高いのか」というご著作で、人を大切にする会社のモチベーションが高く、業績も高いことを検証されています。人を大切にするということは、企業の経営では、それぞれの人々の本質的価値に目覚めされるような環境作りだと思います。われわれ日本人は世のため人のためになることに情熱を燃やすことができる民族なのだと思います。常に自分とともに働いてくれる人々に感謝するとともに、何らかのミスを犯した場合も自分の 我欲や満足のために「怒る」のではなく、その部下の成長のためにはどのように指導すべきかを考えて「叱る」ことが必要です。まず、お客様のためになり、喜ばれるようなことを会社で共有できる会社というのは今後も伸びていくのではないでしょうか。私の講演を聞いていただいたある会社の社長様のお店の評判がブログで出ていましたが、お店に入ると店員の方が、お客様が気にならない程度に先回りをしてお客様の必要なものを見つけてくると書かれていました。超能力の持ち主なのかもしれませんが、お客様の普段の嗜好、その時の気候、時間、お客様のご様子などを観察しつくすと(それも売ろうという気よりも、どうしたらお客様に満足してもらえるかという観点からだと思います。)そのようなことができるのではないでしょうか。努力が宇宙の流れと合致したときに成功というのが約束されるのだと思います。 

やまと心の経済学 その5 働く

働く

 

日本人が働くということに関して持っている意識は独特なものではないでしょうか。

キリスト教では聖書の中で、アダムとイブが知恵の実を食べたための原罪ということで労働を考えています。(創世記第3章)

しかし、古事記では天照大神様が天孫に米を賜ります。そこでは米作という仕事が神様からの恩寵として考えられています。

私は神社のお田植え祭りを拝見したことはありましたが、実際に稲刈りをしたのは先日伊勢の神宮の神田でしたものが初めてです。神様のお米を稲刈りさせていただくことは光栄でしたが、やはり腰をかがめての作業で、また、特異体質なのか稲刈りをするとかゆくなってしまいました。(現在農業はほとんど機械化されていますから、現実の農業はそこまできついことはありませんが。)

 昔の農作業の大変さの一部を感じるとともに、昔のお百姓さんも神様のお仕事に携わるという感激をもって仕事をしたのではないかと思いました。

 「働く」という字は、国字であり、日本人が発明した字です。

漢民族の皇帝は決して農作業などはしません。また、朝鮮半島の王侯貴族でも同様です。労働が西洋で価値を認められているのは、マックスヴェーバーによればプロテスタンティズムの時代以降になるでしょう。

天皇陛下が実際に農作業をなされるのは、そんなに古い時代のことではないのですが、それを当然と考え、またそこに日本らしさを感じることができるのはすばらしいことであると思います。

 儒学では学ぶことを重視していますが、そこを勤勉そして勤労に結びつけたのは日本人のすばらしさだと思います。

 日本では江戸時代でも農村では文字を解する人が多く、多くの農書が残っています。考えてみれば渋沢栄一先生などは富農ですが、書き残された論語の解釈や、その他の著作を拝見すると当時の農村の学問的水準の高さを感じさせます。 

時代が進み、主要産業が農業から製造業へそして非製造業へと重心を移している今日でも、日本人の根底にある「勤労観」は変化がないと思います。ただ、これも産業の変化によっていくつかの修正をする必要はあるかと思います。

 物が少ない時代はいかにして多く作るかが非常に大切なことでした。営業の努力というのは力であり、長時間働くことがすなわち勤勉だったのだと思います。

それに対して現在多くの人々は、ものに囲まれています。日々の日常雑貨以外は買わなくても生きてはいけます。消費不況と呼ばれていますが、このような状況でお客様になっていただく方というのは非常にありがたいことだと思います。

 

そのためには、お客様が「より快適に、より楽しく、より楽に」なるようにすることが求められています。お客様の目線に立って一番いいサービスは何かを常に考え続けることであり、そのための努力というのは時間ではなく質が重要です。

外資系の消費財の会社が日本から撤退することがあるのは日本の複雑な流通経路もあると思いますが、消費者の意識が他の国に比べてかなり高い(あるいは異なる)気がするのです。

これはヨーロッパ、アメリカ、アジアなどにある程度の期間回ったことの感想でもありますし、一部しか行っていませんがアフリカなどに比べると段違いです。途上国ではまだ、ものが不足していますし、先進国でも日本のサービスはかなり水準が高いと思います。しかし、それだからといって気を抜いてはいけないと思います。

新しい知識・サービスなどを、自分の本質と照らし合わせてその本質をさらに強化できるかという観点から学び取り込んでいくことが求められてくると思います。

やまと心の経済学 その6 美

 

江戸時代の浮世絵が西洋に紹介されたのは、輸出品の陶器をくるんだ包装紙としてだった、といいます。当時の西洋人にとってそれは衝撃でした。鮮やかな色彩、大胆な構図、西洋文明では見られない美の形態でした。

当時美術は王侯貴族のものであり、庶民が手軽にふれることはできませんでしたが、日本では木版印刷の普及により、一般でも入手は可能でした。(でも刷りのいいものなどはやはり高かったのでしょう。)

日本は当時の美術の水準としては一般の民衆まで広がっていたことが伺えます。

ただ、これは日本が豊かであったというだけではなく、ほかの分野に比較して美的なものに対する興味が高かったということだと思います。

ラフカディオ・ハーンが日本の道具の美しさをほめるところがありますが、調和の取れているものはなんでも美しいものだと思います。いまで言う産業デザインでしょうが、そのような意識がなくとも使いやすくかつ使って楽しいものは人々の心をひきつけ豊かにしていきます。

日本のアニメーションは世界で視聴されていますが、(著作権使用料が支払われているかは別として)やはり画像の美しさ、メッセージ性の高さは他の諸国のアニメーションと比較すると高いといえます。

いまデザインというのは大きな資産価値を有してきています。伝統的にすばらしい美的感覚を有している日本人はこの点有利だと思います。願うらくは産業界でもこのデザインや美術・芸術的なセンスを重視してきてほしいことです。

景気がよい時には日本の企業はメセナとして多くの芸術関係の支出をしましたが、将来日本が成長力を持続するのに必要な分野としてこのデザインという分野は欠かせないと思います。デザインはデザインとしてでは価値が明確ではありませんが、何らかの製品と合致することでそのすばらしさを認識することができます。その点、ものづくりで競争力がある今が貴重な機会だといえます。

美を純粋に追求するという態度はすばらしいと思います。芸術家も演奏したり、絵筆を取っているときにはお金をもとめるというよりは純粋に美を追求していることでしょう。しかしピカソやダリなどは巨額な資産を残しました。金銭的な満足がもたらす、すばらしさというのも美を生むひとつの要素でしょう。多くの資料を集め、多くの道具を用い、後顧の憂いなく美に専念できる環境というのも必要だと思います。

貧困から生まれる美というのももちろんあると思います。顔回などは貧困の中ですばらしい境地に達したことは事実です。しかし、貧しいすべての人が顔回の境地に達するわけではないでしょう。

しかし、ある外食産業の代表の方のお話を聞く限りでは、芸術関係の大学を卒業して、就職できる機会というのは日本では限られているようです。

多くすばらしい業績は何らかの喜びや楽しさから生まれます。貧困だったといわれるモーツァルトも現在の研究では十分な収入を得ていたようです。(それ以上に支出がすごく、その借金を返し終わるのはモーツァルトの妻が彼の死後お金持ちと再婚してからのようです。必ずしも悪妻ではなかったということでしょう。)

 経済・経営と美しさというものは案外重視されてきていなかった分野ですし、特に日本では研究はこれからでしょうが、大きな可能性のある分野です。美的な満足が経済的な成功につながるような社会を作っていくことが日本の将来のために大切かもしれません。

 

松下資料館、松下幸之助歴史館訪問

松下資料館に行ってまいりました。

松下幸之助先生の思想を中心としたものであまり電化製品などはないのですが、

むしろが松下幸之助歴史館よりも、その思想が詳しく記されており、私の仕事に非常に役立ちました。

なお予約が必要ですので注意願います。
http://matsushita-library.jp/

それぞれのコーナーは興味深く、

 経営道・商人道では「会社は何のために存在しているのか。会社はどのようなやり方で経営をおこなっていくべきか。 」を考え、正しい人間観、社会観、世界観に根ざした、自然の理法にかなったものでなければならず、経営者はそれを思索する姿勢が大切であるとの主張でした。

 経営者の基本の資格要件としては確固とした事業観、すぐれた経営的識見、経営を進めていく実行力と強い責任感が必要とのことです。

 そして人生の生き方・考え方では、みずからの天分を完全に生かし切り、使命を遂行することが、人間としての成功であるとの主張です。

 それ以外にも政治との関係、宇宙との関係、人間観などが肉声で語られ、本当に充実した学びをいただけました。わたくしも自分の使命に邁進したいと思います。


なお、松下幸之助歴史館も松下幸之助先生の生涯を(私の見方では)主として産業人としての面を中心に紹介されていますので、こちらも行かれるとよいと思います。
http://panasonic.co.jp/rekishikan/

ジェイエイブラハムの勉強会。

世界でも有力なマーケッターのジェイエイブラハム氏の勉強会に合計70万円を支払い、4日間参加してきましたが、多くの参考になる事例を得ることができました。結局どのようにしてお客様に喜んでいただくかを、お客様の視点で考え、お客様にサービスを通じて問題点の解決に当たるのがマーケッティングの基本であると思います。

また多くの実務経験のある勉強仲間を見つけることができました。感謝しております。一般の方はハイパワー・マーケティング などをお読みいただくとよいと思います。

何も日本の伝統的な精神文化を実現するために、日本のものにこだわる必要はないのです。

ただ、日本に本来あるものをよりよく実現するためにはこのような知識も役立つのではないかと思います。

日本の伝統思想を学ぶことの利点

 ある人から、「日本の伝統思想を学ぶことの利点は何か。」という根源的な質問をい
ただきました。
 私にとってはあまりに当然なことだったので、逆に驚いてしまったのです。
 しかし、これは大切なことです。
 結局は正しい決断を自信をもって行うことができるということなのではないでしょうか。
 1000年以上の歴史に耐えている古典は、宇宙の真理に合致しているのだと思います。
 松下幸之助氏の成功の秘訣の一つも「宇宙の真理に合致すること」であり、私もこれ
は真実であると思います。人間の持っているよい徳性を伸ばすこと。これは企業経営の
みならず、人間の生き方にもつながるのではないかと思います。

ありのままを生きること

 人間ありのままにいきることは大切です。しかし、努力もまた大切なことです。
 ありのままというのは努力をしないということではないのだと思います。人間が本来持っている無限の能力をありのまま認めるということです。そのあらわれ方は人によって違うかもしれませんが、自分を高めていくうちに、この方向であらわしていくのが自分にとって良いのではないかと思えてくるのだと思うのです。
 そしてそれを明らかにしていくのが努力なのでしょう。ここに努力は苦行ではなく、人間としてのあたりまえのことになります。 意識して息をする人は少ないかもしれませんが、努力も息をするのと同様な自然な営みになってくるのだと思います。

中江藤樹先生のお話

 中江藤樹先生は、人格的に非常に高い方だと思います。藩政改革とか目立った実務上のことはされていないのですが、次のようなお話でむしろそれ以上のことをされたのかもしれないと思います。

 中江藤樹先生がいらっしゃる地方で、飛脚が馬に乗り、200両という大金がないことに気がつきました(現在の価値で1000万円から2000万円でしょうか)。
 しかし、馬子がその金子を飛脚に届けてきたのです。しかもお礼はいらないとのこと。飛脚はなぜこのような身分のものが立派な態度なのかを知りたくなりました。
 馬子は、藤樹先生がいつもいわれていることをしたまでであるということでした。人をここまで感化できることは素晴らしいですね。

読んでいただきたい本

経営者の方はご存知の方がいらっしゃると思いますが、そうでない方にもお勧めです。
「日本でいちばん大切にしたい会社」坂本光司 あさ出版です。

 単なる経営学の本ではなく、志の高い企業の話です。

 そのうちのひとつ日本理化学工業は、粉の飛ばないチョークの会社で、シャアーの3
割を占めている優良企業ですが、社員の障害者割合が7割という会社です。
 はじめ養護学校から障害者の就職を依頼され、3度断りますが、就業研修だけでもと
いうことで1週間面倒をみることになります。
 そして一週間経過したのち、社員から自発的にこの少女を社員にしてくれないか
との声がでます。あまりに真剣な就業態度に社員のみんなが心を揺り動かされたのです
。できないことは他の社員がカバーすることもみな約束しました。
 これ以外にも感動するお話が満載ですので、どうぞ読んでみて下さい。

セミナーサイトでの上位入賞。

セミナーを紹介するサイト、セミナーズで上位に入賞しました。
(3万人が購読し、1000以上のセミナーが紹介されているとのことです。)
http://www.seminars.jp/user/seminar_d.php?sCD=22959

本当のことを人々が求めるようになってきたのではないかとも思いますが、
責任も感じます。
皆様のご支援のたまものです。本当に感謝いたします。

大学と論語

論語はご存じのとおり、孔子様のお考えを主に述べたものです。その時々に孔子様が考えられたことが、述べられています。ですから、私たちはその発言の状況をよく判断して考えるべきです。お釈迦さまもそうですが、何か壮大な体系を作るよりも、日々の細かな問題点を誠意をもって解決されていったのが孔子様だと思います。

論理的に儒学の体系をわかるには大学のほうが分かりやすいかもしれません。ものごとの認識を正しくし、正しい知識を得て、意図を誠実に行う・・・と素晴らしい世界が実現するということです。

実は神道の随神(かんながら)というのも、神様の世界のような世界の原理にしたがうことであり、論語や大学に通じるものがあるような気がいたします。